カジノはどこから始まった?誕生からオンライン時代、日本の最新動向まで解説
「カジノ」という文化の始まりをたどると、そのルーツは17世紀のヴェネツィアにあります。
公の場で賭け事を管理するためにつくられた施設が、のちに世界最古のカジノとして語られる存在になりました。
カジノはどのように誕生し、どう進化してきたのか。
そして日本では、どんな形でギャンブル文化が広がってきたのか。
本記事では、そんなカジノの歴史をわかりやすくひも解いていきます。
ギャンブルの歴史の始まり
ギャンブルそのものは、公式カジノができるよりずっと前から人類とともにありました。
文明が発展するなかで、形を変えながら楽しまれてきた「最古の娯楽」といっていい存在です。
ここからは、そんなギャンブルのルーツをもう少し深掘りしていきます。
古代文明におけるギャンブル
発掘された遺物をたどると、古代メソポタミアや商〜周代の中国では、すでにサイコロに近い道具が使われていたことがわかっています。
また、古代エジプトでもボードゲームの存在を示す遺物が見つかっていて、当時の人々がギャンブルに近い遊びを楽しんでいた可能性が高いと考えられています。
現代カジノに似た初期のゲーム
中世ヨーロッパに入ると、トランプを使ったゲームが貴族の間で広まっていきました。15世紀のイタリアでは、今の「バカラ」に近いルールのゲームが登場したとされています。
さらに17世紀ごろになると、貴族の屋敷や街の酒場で賭け事が日常的に行われるようになり、今でいうギャンブル的な遊びが定着していきます。
こうした遊びが少しずつ形を変え、現在のカジノの土台になっていったのです。
世界最初の近代カジノ
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世界で最初のカジノとされるのは、1638年にヴェネツィア共和国がつくった【 Il Ridotto(イル・リドット)】です。
街中に広がっていた賭博をきちんと管理するためにつくられた公営のギャンブル施設で、これがカジノの起源とされています。
イル・リドットそのものは18世紀にいったん閉鎖されたものの、その後「カジノ・ディ・ヴェネツィア(Casinò di Venezia)」と名を変え、世界最古のカジノとして現在も運営を続けています。
創設者と設立の目的
ヴェネツィア政府がカジノをつくった背景には、しっかりした理由がありました。
当時は街のあちこちで賭け事が行われていて、ルールも場所もバラバラ。
治安面でも運営面でも、少し混乱していた時代だったのです。
そこで政府は、賭博を一か所にまとめて管理することで、遊び場としての秩序を整えようとしました。
公認の施設にすれば運営もコントロールしやすくなり、結果的に財政面でのメリットも見込めると考えたからです。
公共の娯楽としての意義
「イル・リドット」の誕生は、ギャンブルを「ただの賭け事」から「公共の娯楽」へと引き上げた大きなターニングポイントでした。
政府が管理に入ったことで、ゲームの公平さが保たれ、安心して遊べる環境が整えられていきました。
また、この施設は単なるギャンブル場ではなく、貴族たちが社交を楽しむ場所としても機能していて、音楽や会話を楽しみながらゲームに興じることができたのです。
近代的なカジノの原型は、この時期に確立されたといえるでしょう。
カジノの発展
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ヴェネツィアで始まったカジノ文化は、その後ヨーロッパ全土、そして世界中へと広がっていきます。
ここからは、ヨーロッパでどのように広まっていったのか、そしてアメリカでカジノがどんな進化を遂げ、ラスベガスのような巨大都市を生み出すまでに至ったのかを順番に見ていきましょう。
ヨーロッパ各地への広がり
18〜19世紀に入ると、カジノ文化はゆっくりとヨーロッパ各地へ浸透していきました。
なかでも大きな転機になったのが、1863年にモナコのモンテカルロで「カジノ・ド・モンテカルロ」が開業したことです。このカジノは華やかな社交場としてヨーロッパの貴族や富裕層を惹きつけ、一気に「カジノ=リゾート」というイメージを広めました。
また、ドイツのバーデン=バーデンも19世紀には温泉保養地として栄え、上流階級が集まる社交地として人気を集めていました。
こうした都市の成功がきっかけとなり、カジノは「遊びの場」から「観光+社交を楽しむためのスポット」へと広がっていきました。
アメリカへの伝播とラスベガスの影響
20世紀になると、カジノ文化はアメリカにも広がっていきます。
なかでも大きなターニングポイントになったのが、1931年のネバダ州でのギャンブル合法化です。これをきっかけに、砂漠の小さな町だったラスベガスに、カジノのライセンスを持つ施設が少しずつ増えていきました。
1940年代から1950年代にかけて、フラミンゴやサンズといった伝説的なカジノホテルが誕生し、エンターテインメントとカジノを融合させた独自のスタイルを確立していきました。
こうした流れが積み重なり、ラスベガスはアメリカのみならず、世界でも知られるカジノシティへと成長していったのです。
カジノゲームの歴史
ここからは、カジノの顔ともいえる代表的なゲームが、どんなふうに生まれてきたのかを追っていきます。
普段何気なく遊んでいるゲームの歴史を知ると、いつもとは少し違った視点で楽しめるようになるかもしれませんよ✨
ルーレット
ルーレットはフランス生まれのゲームで、今の形に近いスタイルが整ったのは18世紀ごろとされています。
起源については諸説ありますが、17世紀の数学者パスカルが「永久機関」の研究中に生んだ仕組みがヒントになったという説が有名です。
その後、カジノ文化が世界へ広がるにつれて、ヨーロピアンルーレットやアメリカンルーレットなどの派生版も登場し、地域ごとのルールとして定着していきました。
バカラ
バカラは「どこの国が発祥か」で今もフランス派とイタリア派が言い合う、由来がちょっとややこしいゲームです。
多くの研究では、15世紀ごろのイタリアで、タロットカードを使ったゲームから発展したという説が有力とされています。
その後フランスに伝わり、貴族や上流階級のあいだで高額ベットの遊びとして定着していきました。
今でも「ハイローラー向けのゲーム」というイメージが強いのは、貴族の高額賭けゲームとしての歴史が背景にあるからです。
ブラックジャック
ブラックジャックの元になっているのは「21(トゥエンティワン)」というカードゲームで、17〜18世紀ごろにはスペインやフランスで遊ばれていたといわれています。
「21に近い人が勝ち。超えたら負け」というルールは今と同じ。
その後、19世紀末のアメリカで「黒いJとAの組み合わせに特別ボーナスをつける」というキャンペーンを始めたことがきっかけで【ブラックジャック】という名前が広まったとされています。
スロットマシン
スロットの歴史は、19世紀末のアメリカまでさかのぼります。
サンフランシスコの技術者チャールズ・フェイが、1890年代に三つリールの「リバティベル」をつくったことが、今のスロットの原型とされています。
当時はすでにコイン式のマシンがあったものの、リバティベルは「コイン投入 → レバー → 自動でリールが止まる → 揃えば払い出し」という、現代スロットとほぼ同じ流れを完成させた点が画期的でした。
その後、フルーツ柄やBARマークなどが登場し、20世紀には電気式やビデオ式へと進化していきます。
オンラインカジノの登場|カジノ文化の第2の革命
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インターネットが広く使われるようになると、カジノは「実際に足を運ぶ施設」から「ネット上で遊べるサービス」へと進化していきました。
ここからは、オンラインカジノがどのように生まれ、どんな流れで広がっていったのかを解説していきます。
1990年代の誕生
オンラインカジノの始まりは、インターネットが普及し始めた1990年代半ばまでさかのぼります。
1994年にカリブ海の国家アンティグア・バーブーダが、オンラインカジノ向けのライセンス制度を整えたことで、ネット上で合法的にカジノを運営できる道が開かれました。
同じ頃、ソフト開発会社の「Microgaming」がオンラインカジノ用ソフトを開発し、1996年には「InterCasino」が最初期のオンラインカジノとしてサービスを開始します。
この時代のオンラインカジノは、まだゲーム数も少なくグラフィックもシンプルでしたが、「家にいながらリアルマネーで遊べる」という点で、大きなインパクトを与えました。
ライセンス制度の整備(マルタ・キュラソーなど)
「InterCasino」の登場をきっかけに、オンラインカジノは世界中で一気に増えていきました。
ただ、サービスが広がるほど「どこが運営をチェックするのか」「プレイヤーの安全はどう守られるのか」といった問題が浮かび上がってきました。
そこで重要になったのが、キュラソーやマルタといったオンラインカジノ向けライセンスを発行する国々の存在です。
こうした国々がルールを整えたことで、オンラインカジノはグレーなサービスから、一定の基準と監督のもとで運営される産業へと進化していきました。
ライブカジノの普及
2000年代半ばになると、オンラインカジノはさらに進化し、現在の主流となっている「ライブカジノ」が登場します。
2006年ごろから、スタジオで撮影したディーラーの映像をリアルタイムで配信するライブテーブルが登場し始め、回線や配信技術の進化もあって「画面越しでディーラーと遊べる」スタイルが広まりました。
このジャンルを大きく押し上げたのが、2006年に設立されたゲームプロバイダー「Evolution」です。
ルーレットやバカラなどを生配信する本格的なテーブル、ディーラーとチャットでやりとりできる仕組みなどを次々と導入し、ライブカジノを一大ジャンルへと育て上げました。
今ではスロットと並ぶ、オンラインカジノの主力コンテンツのひとつとなっています。
日本のカジノ事情
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ここまで見てきたように、カジノはヨーロッパから始まり、アメリカ→オンラインへと形を変えながら発展してきました。
では、日本ではどうかというと、欧米とは少し違った形でギャンブル文化が育ってきた歴史があります。
ここからは、日本における賭け事の歴史と、カジノをめぐる社会の受け止め方について、順番に見ていきましょう。
日本におけるギャンブルの歴史
日本でも、賭け事そのものはかなり古くから存在していました。
江戸時代には「丁半博打」などのシンプルな勝負ごとが庶民の間で親しまれ、当時の人々にとっては日常的な娯楽のひとつだったといわれています。
しかし明治時代に入り、治安維持や社会秩序を重んじる流れのなか、賭博行為は原則として禁止されることになります⚠️
その後も、競馬・競輪・競艇・パチンコといった公営ギャンブルは例外として認められましたが、カジノのような施設型ギャンブルは長らく解禁されませんでした。
そんな状況が動き出したのが2018年。
紆余曲折を経て「特定複合観光施設区域整備法(IR整備法)」が成立し、日本でも統合型リゾート(IR)の一部としてカジノを設置できる制度が、ようやく正式に整えられたのです。
日本社会での文化的受け止め方
前述のとおり、日本でもカジノを設置できる制度が整いましたが、だからといって社会全体が歓迎ムード…というわけではありません。
娯楽として楽しむ人がいる一方で、依存症や治安悪化を心配する声もあり、ギャンブル=良くないものと考えている人も少なくないのです。
カジノ解禁に向けた議論でも、観光や経済面でのプラス効果を期待する意見がある一方、地域への影響や依存症対策については慎重に考える必要があるという声もあります。
新しい観光資源としてどう活かすのか?
社会的なリスクとどう折り合いをつけるのか?
日本がカジノ導入を進めるうえでは、この両者のバランスをどのように取っていくのかが、今後の重要な課題になっていくでしょう。
社会や文化への影響
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カジノは、ただ遊ぶ場所というだけでなく、社会や文化にも影響を与えてきました。
ヨーロッパではもともと貴族の社交場として発展し、ドレスコードや上品なマナーが根づいたり、映画や小説の舞台として使われたりと「大人の遊び場」のイメージをつくるきっかけになりました。「007」のカジノシーンなんかは、その代表ですね。
また、ラスベガスやマカオのようにカジノが街の経済を支えている地域もあります。
その反面、依存症や治安悪化への懸念もあり、各国で規制や対策が欠かせません。
こうしたプラス面とマイナス面の両方を抱えながら、カジノは社会のなかで独特の位置づけを築いてきたといえるでしょう。
まとめ
1638年のヴェネツィア「イル・リドット」を起点に、カジノはヨーロッパからアメリカ、オンラインへと姿を変えながら広がってきました。
ラスベガスが象徴するように、時代に合わせて進化してきた文化です。
日本でも「IR 整備法」の成立により、ようやくカジノが正式に検討される段階に入りました。今後は観光資源としての期待と、安心して遊べる環境づくりという課題が並走していくことになります。
歴史を見ても、カジノはいつも社会とともに形を変えてきました。
これから日本でどんなスタイルが生まれていくのか。
新しいエンタメとしての可能性は、まだまだこれから広がっていきそうですね!
CasinoTopsOnline編集部